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【チャペルアワー】「私たちの心は燃えていたではないか」前川 修先生

2019年5月29日(水)「わたしたちの心は燃えていたではないか」
聖書:ルカによる福音書―24章13節~32節
お話:社会福祉法人カトリック京都司教区カリタス会 希望の家児童館 館長 前川 修先生

【学生の感想より】
・専門学校での学びに「疲れるなぁ」と感じることもあります。でも、これから出会う子どもたちの顔を思い浮かべて、気の緩むことのないようにしたいです。そのためにも早く保育現場に行き子どもたちに出会いたいと思いました。    
・人間関係などの問題から辛くて現実から離れたくなることも今までありました。でも、それを乗り越えて子どもの笑顔が元気の源になるように私も自分の元気の源を見つけて頑張って行きたいです。また、私もたくさんの人のおかげでここまで成長できたと思います。次は私が多くの子どもの成長の支えになれたらと思います。
・人は一人で生きていけないからこそ、自分一人の気持ちや気分、行動が周囲にも影響を与えると思う。目的を見失いそうになった時、それを気づかせてくれるのも周囲の存在であり、自分の居場所をもう一度確かめられるのだと思った。
・当たり前のことが当たり前でないことに実習で気づけることが多い。対象者がいて初めて自分を見つめることができる。残りの時間でたくさん吸収していきたい。

 
 本日は「わたしたちの心は燃えていたではないか」というテーマでお話頂きました。保育の仕事をする中で辛い事や大変な事があったり、思い描いていた仕事との相違を感じる事もあるが、子どもの成長が疲れを吹き飛ばし我に返るきっかけになるというお話でした。1回生は入学をして約2か月の保育に関する学びを受け、保育の道を目指す際の気持ちを思い出し、保育現場へやりがい“心の原動力”に出会いに行きたいと感じたようです。2回生は初心を思い出したり、生活施設実習を終え様々な学びがあったことと繋げて考える時間になったようです。 
 昨年度、1回生(現2回生)からこんな質問をされました。「先生、保育のモチベーションの維持が難しくて・・・先生はどうしていましたか?」と。まさに本日のお話と重なる内容でした。私はやはり「今、手を抜くと将来関わる子ども・利用者さん・保護者が自分の技量によって損をする事になるとその都度考えていた。自分の為にも子どもの為にも頑張ろうと考えては?」と助言しました。保育者の心の原動力は“子どもたち”です。子どもたちの成長の為に今の自分は何をするべきか考える時間となったようです。ありがとうございました。(専任教員:河北 彬充)

【チャペルアワー】「育つままに」木原 桂二先生

2019年5月15日(水)「育つままに」
聖書:マタイによる福音書13章24~30節
お話:日本バプテスト連盟 北山バプテスト教会 牧師 木原 桂二先生

今日与えられた聖書のみ言葉は「毒麦のたとえ」の箇所です。良い麦を蒔いた畑に敵が毒麦を蒔いて行き、それらの芽が出たところで僕が「毒麦を抜き集めましょうか」と主人に申し出ると主人は「刈り入れるまで両方とも育つままに」と言います。その意味は…。お話から学生に届けられたメッセージは…。

【学生の感想より】
・子どもは自分が喜ぶために、希望がある未来のために生まれてくるという言葉はとても印象に残りました。だから大人や周りの人たちが子どもの価値を言ったりするのは違うんだと感じました。私たちには子どもたちがこの世の中で生きていけるようにサポートする重要な役割を持つのだと改めて感じました。お互いがお互いを尊重し合うことが大切なんだと思いました。
・人間には色々な人がいる。その時に自分と違う人間をどう見るか、人の見方について考えていこうと思った。それは保育の道では大切だと感じだ。希望を持つことは愛に繋がる。この言葉を胸に刻んでいきていと思う。子どもに関わるうえで喜びや人間性を見て、気付いてあげられる人になりたいと思う。
・世界には色々な子どもたちがおり、大人のせいで小さな命が消えてしまう、そんな悲しいことを一つでもなくせるように頑張れる人になりたいです。
・毒麦のたとえの中にある良い麦と毒麦は一人の人間の内面に存在するように思います。育つにつれて、自らが自身の内にある毒になる部分と良い部分を自身で気づき、それぞれに対してどう向き合うかが大切さと感じました。その向き合う時に、自分の心の中に希望がある事、そして他者に対しても善悪でなく希望を持って関わりたいと思います。

保育士として子どもにどんな風に向き合っていこうとするのか、その成長にどう寄り添っていくのか…、お話の中で「愛をもって守り抜く」と語って下さったその言葉に、学生一人一人が保育士としての働きを目指す自身の想い、覚悟と向き合う時が与えられたようでした。ありがとうございました。(専任教員:池田奈緒実)

【チャペルアワー】「光感じて」中江 潤先生

2019年5月8日(水)「光感じて」
聖書:エフェソの信徒への手紙1章18節
お話:本法人(京都基督教福祉会)理事長/保育科専任講師 中江 潤先生

【学生の感想より】
・元気で遊ぶ姿やいたずらする姿など、表面的な姿を見るだけではなく、もう一歩踏み込んでその子について知ることが大切であると学んだ。
・言葉や言動には両面性があってその両方に目を向けようとする、目を向けられる、考えられる人になりたいと思った。保育士は本当に大切な時期の子どもを預かることを改めて実感した。
・盲目の子どもさんのお話から、目からではしっかり分からない部分を〝耳で“〝触って”と目以外のもので知ろうとする、前へ進む「力」の大切さを今の私たちは忘れてしまっているのではと思い、改めることができました。ここでいう「光を感じる」ことは目からだけでなくいろんな方法で自分に取り込むことができるものであると感じました。目立つものだけに目を向けるのではなく、小さいものにも目を向ける大切さを知ることができました。

今日のお話から学生さんは、保育士として子どもさん一人ひとりに何を大切にして関わっていくことが必要なのか等、改めて考えさせられたようでした。人とまた自分自身と向き合う時に、行く道を示してくれるかすかな光に気づくことができる心の目を持ち、丁寧に関わりを重ねる力が一人日ひとりに築かれていきますように、祈って参りたいと思います。ありがとうございました。(専任教員:池田奈緒実)

【チャペルアワー】「学院の歴史」池田 奈緒実先生

2019年4月24日(水)「学院の歴史」
聖書:詩編121編1~8節/箴言3章6節
お話(説明):専任講師 池田 奈緒実先生

【学生の感想】
・「立派な人ではなく人と共に歩む気持ちを大切にして欲しい」という言葉が心に残りました。自分がどれだけ技術があったりして立派な人になってもあまり意味がないと思うしそれは自分のためだけだと思いました。相手のことを考えて寄り添ったり一緒に成長していくことがとても大切だと思いました。
・この学校には代々の学院長先生の想いからここまで続いてきたことがわかった。この歴史を卒業生に続き私たちも受け継いでいきたいです。
・その時代と次の時代を見て様々に学院を変化させてきたその思いを私たち自身が感じ、取り入れることが大切だと思いました。

学院が1955年に設立された経緯や当時の場所や建物、学生さんの様子、歴代学院長先生のお姿や想いなどもスライドで見てもらいました。まったく学生の感想にある通りで、私たち(学生や教職員、関係者)はこの歴史の重みを知り、先達の想いを知り、この学院を後世まで残る学校にすることが責務であると改めて感じることができました。(専任教員:花岡 貴史)

【チャペルアワー】「自己肯定感」岡本 匡弘先生

2019年4月17日(水)「自己肯定感」
聖書:イザヤ書―49章3節
お話:本学院学院長 岡本匡弘先生

【学生の感想より】
・人間は経験する事で表現できるというお話から保育・福祉の仕事は、みせる・みられる仕事である事を心に留めて対象者にとっての見本でいなければならないと思う。その為に自分の好きな事・得意な事をするのではなく苦手な事にも挑戦し経験を通して色々な事を学んでいかなければならないと思った。
・相手を輝かせるために自分はどうすべきかしっかり考え、行動していかなければいけないと思った。
・私は相手を優先させてしまったり「私なんて・・・」と言ってしまう事が多いと感じた。その自己肯定感の低さは相手を喜ばせることでは無い為、自分が輝きつつ相手も輝かせる関わりをしていきたいと考えた。
・心に響いたのが努力をしない人には壁が出てこないという言葉で、どれだけ失敗しても頑張る事で壁ができるのだと理解できた。全てマイナスに考えるのでは無くまず行動をする事が大切だと思った。

 本日は「自己肯定感」というテーマでお話頂きました。私自身、社会的養護の施設現場にて勤務していた事から「自己肯定感」について考えながら仕事をする事も多かったです。虐待を受けた子ども、親と離れて生活する事を余儀なくされた子ども…自己肯定感が低い子どもは「どうせ無理」という発言を口癖のように言ったり、反対に自分を強く見せようとしたり…。
 本日のお話を聴きながら今までに関わってきた児童を思い出していました。
保育者として対人援助者としてどのように人と関わるか、どうすれば将来関わる子ども達が自己肯定感の高い人になれるか、まずは自分の自己肯定感を見直す、自分が輝く必要がある等、それぞれ色々な事を考える時間となりました。ありがとうございました。(専任教員:河北 彬充)